はじめに
司法試験受験生の皆さん、こんにちは。
このサイトでは、井田良ほか『刑法事例演習教材[第3版]』(有斐閣、2020年)に収録されている全52問について、私が受験生時代に作成した刑法事例演習教材の解答例を公開しています。刑法の重要論点を実践的に整理し、答案作成力を高めるための参考資料としてお役立てください。
第41問「ノー・ウェイ・アウト」では、正当防衛の成否に関わる論点として「自招侵害」が中心的に問題となります。自ら争いの原因を作り出した者が、相手の侵害に対して正当防衛を主張できるのかというこの論点は、実務においても微妙な判断を要するテーマであり、学説・判例の整理が求められます。
本解答例では、自招侵害に関する判例の立場を踏まえた上で、正当防衛の成立要件との関係を丁寧に検討しています。防衛の必要性や急迫性といった評価を、事実に即してどのように論述するかを学ぶうえで、格好の演習素材といえるでしょう。
刑法事例演習教材の解答例として、本記事が皆さんの司法試験対策に少しでも貢献できれば嬉しく思います。ぜひご活用ください。
解答例
第1 第1暴行について、暴行罪(208条)が成立する。
第2 第2暴行について、傷害罪(204条)が成立するか。
1 「傷害」とは、人の生理的機能を侵害することをいう。
第2暴行は、金属製で重量が400グラムもある特殊警棒での攻撃であるから、傷害の危険を有する危険な行為である。これにより、Aは加療2週間を要する顔面挫創の傷害を負っているから「傷害」にあたる。
2 第2暴行に先立って、Aからラリアットを受けているところ、正当防衛(36条1項)が成立しないか。
正当防衛は、急迫不正の侵害という緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることができないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したものである。そのため、急迫性が認められるとしても、自ら侵害行為を惹起した者にとっては、緊急状況とはいえないから、正当防衛の前提状況を欠く。
そこで、侵害行為が、先立つ不正な行為に触発された一連一体の行為であり、侵害行為が侵害招致行為の程度を大きく超えないときは、正当防衛は成立しない[1]。
甲は、侵害行為であるAのラリアットの前に第1暴行を行なっている。これによって、Aは、やられたらやり返すのが当然と考える心理状態となっているから、第1暴行がAのラリアットを触発したといえる。Aは「待ちやがれ」などと言いながら自転車で甲を追い掛け、第1暴行から数分後に、第1暴行の現場から約26メートル先を左折して約60メートル進んだ歩道上で甲に追い付き、自転車に乗ったまま、水平に伸ばした右腕で、後方から甲の背中の上部又は首付近を強く強打するという侵害行為を行っている。そのため、第1暴行は、ラリアットに時間的・場所的に近接している。したがって、第1暴行と侵害行為であるラリアットは一連一体の行為といえる。
第1暴行とラリアットは、共に素手による暴行であるから、ラリアットが第1暴行の危険の程度を大きく超えるとはいえない。したがって、正当防衛の前提状況を欠く。
3 甲は、上記行為を認識認容しているから、故意(38条1項本文)の故意が認められる。
4 よって、傷害罪(208条)が成立する。
第3 B所有の倉庫の敷地に逃げ込んだ行為について、建造物侵入罪(130条前段)が成立するか。
1 B所有の無人の倉庫の敷地は、建造物たる倉庫の囲繞地であるから、「建造物」にあたる。
2 「侵入」とは、管理権者の合理的意思に反する立ち入りをいうところ、倉庫の敷地は、100センチメートルのフェンスで囲まれ門には鍵がかかっているから、午後8時ごろに無関係の物が立入ることは、予定されていない。したがって、管理権者の合理的意思に反するから、「侵入」にあたる。
3 甲は、ナイフを持ったAに追われて侵入しているところ、緊急避難(37条1項)が成立しないか。
(1)もっとも、この危難は自招侵害ではないか。第2の2の基準によって判断する。
Aは、甲の第2暴行によって更に激高し、甲を追いかけている。そのため、甲の危難は、
第2暴行に触発されたものである。しかし、甲の侵入時点で第2暴行から既に30分が経過しており、途中で見失ってしまっている。そのため、第2暴行とAの追跡行為は近接していないから、一連一体とみることはできない。
したがって、自招侵害とはならない。
(2)「現在」とは、法益侵害が現実に存在すること、またはその危険が目前に切迫していることをいうところ、甲は、ナイフを持ち、自転車に乗ったAに追いかけられているから、生命・身体に対する危険が切迫している。
(3)甲は、Aの追跡を免れるために「侵入」しているから、避難の意思が認められる。
(4)緊急避難は、無関係な第三者の法益を侵害するため、逃げることも含めて最も被害が小さい方法が要求される。
そこで、「やむを得ずにした」とは、その危難を避けるための唯一の方法であって、他にとるべき方法がなかったことをいい、法益が均衡していることを要する。
甲は、そのまま走って逃げていたのではAの追跡を免れることができず、また、道路の左側には逃げる場所がなかった。そのため、右側にあるB所有の倉庫に逃げることが、危難を避ける唯一の方法であった。
そして、人の生命・身体と比べれば、管理権者の意思に反することは法益侵害の程度が小さいといえる。
(5)したがって、緊急避難が成立し、違法性が阻却される。
4 よって、建造物侵入罪は成立しない。
第4 第3暴行について、傷害致死罪(205条)が成立するか。
1 第3暴行は、頭部に対して金属製の重量が400グラムもある凶器である特殊警棒での殴打であり、危険な行為である。したがって、生理的機能を侵害する危険があるから、「傷害」にあたる。
2 Aは、「死亡」しているが、第3暴行との因果関係は認められるか。
因果関係は、偶然的結果を排除して適正な帰責範囲を確定する法的判断である。客観的に存在する全ての事情を基礎として、行為の危険が結果に実現化したといえるときに認められる。そして、危険の現実化は、行為自体の危険性と介在事情の寄与度によって判断する。
たしかに、第3暴行は通常人であれば死亡することはない程度のものであるから、第3暴行が死亡の危険がある行為とは言い切れない。しかし、Aは、第3暴行によって脳挫傷の傷害を負い、Aは、日頃から脳の血管が細くなる脳血管障害を患っていたため、脳機能障害によって死亡した。そのため、第3暴行がAの死亡結果に決定的な影響を与えたといえる。
したがって、第3暴行の危険が結果に実現化したといえるから、第3暴行と死亡結果との間に因果関係が認められる。
3 もっとも、第3暴行の前にAがナイフで襲い掛かっているところ、正当防衛(36条1項)が成立しないか。
(1)第3の建造物侵入の場合と同様に、もはや自招侵害とはいえない。
(2)「急迫不正」とは、法益の侵害が現存しているか、または、間近に押し迫っていることをいうところ、Aは、甲に傷害を負わせる意思で殴り掛かっており、甲の生命・身体に対する侵害が現存しているといえる。
(3)「防衛するため」には文言上、防衛の意思が必要であり、その内容は侵害行為を避けようとする単純な心理状態をいう。
本件では、甲は、Aの攻撃をかわし、自己のみを守るために警棒を使って防御しているといえるから、「防衛するため」といえる。
(4)「やむを得ずにした」とは、、防衛行為としての必要性および相当性を有する行為をいう。
Aの攻撃は、刃渡り15センチメートルの殺傷能力が高いナイフであり、甲は、倉庫の敷地の隅に追い詰められている。そして、甲とAは共に成人男性であるものの、甲はAより一回り小柄であり、対抗は難しいと思われる。そのため、特殊警棒で後頭部を一度殴るという行為は最小限度の抵抗であり、通常では人が死なない程度の攻撃であるから、「やむを得ずにした」行為といえる。
(4)したがって、正当防衛(36条1項)が成立し、違法性が阻却される。
4 よって、傷害致死罪は成立しない。
第5 以上より、第1暴行と第2暴行にそれぞれ傷害罪が成立し、両者は共にAの身体に対するもので、時間的場所的に近接した行為であるから、包括一罪となる。
第6 関連設例
甲の最初の行為が暴行でなく侮辱であった場合は、自招侵害とはならない。そのため、正当防衛の成立が問題となる。
もっとも、侵害を予期していた場合には、「急迫」性が失われるから、正当防衛は成立しない。
参考判例
[1] 最決平成20・5・20刑集62巻6号1786頁。
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