はじめに
司法試験受験生の皆さん、こんにちは。
このサイトでは、井田良ほか『刑法事例演習教材[第3版]』(有斐閣、2020年)に収録されている全52問について、私が受験生時代に作成した刑法事例演習教材の解答例を公開しています。司法試験の刑法対策として、論点の理解と答案作成の力を養うための参考資料となることを目指しています。
第35問「妄想と勘違い」では、犯罪の実行行為に着手したと評価できる時期が最大の争点となります。特に、殺人未遂罪の成否において、被告人の準備行為と実行行為の境界をどのように判断するかが問われる本問は、いわゆるクロロホルム事件との比較において、判例・学説の理解が試される問題です。
この解答例では、クロロホルム事件を手がかりとして、実行の着手に関する判断枠組みを整理したうえで、事例に適用する形で論理的に検討しています。時期的な判断が難しい事案に対して、どのように答案構成すべきかを考えるきっかけとして、ぜひ参考にしてみてください。
刑法事例演習教材の解答例として、皆さんの理解を深め、司法試験対策の一助となれば幸いです。
解答例
第1 Bの左正面から車両全部を衝突させた行為(以下「本件第1行為」という。)について、殺人未遂罪(203条、199条)が成立するか。
1 甲は、本件第1行為の後、刺突行為(以下「本件第2行為」という。)によってAを殺害する計画を立てている。衝突行為の時点で「実行に着手」(43条本文)がなければ、殺害計画を立て、実行しているにもかかわらず、殺人未遂罪が成立しないことになる。そこで、実行の着手時期が問題となる。
未遂犯の処罰根拠は、既遂結果に至る客観的危険性を発生させる点にある。そのため、結果発生の現実的危険性が認められる時点に実行の着手を認めるべきである。
そこで、「実行に着手」は問題とされている行為が構成要件該当行為に密接し、既遂に至る客観的危険性が発生した時点で認められる。行為の危険性は、行為者の主観によって異なるから、犯人の計画を考慮して判断すべきである。
そして、第1行為が第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠であり、第1行為と第2行為の間に特段の障害事情がなく、第1行為と第2行為が時間的・場所的に近接しているときには密接性、危険性が認められる[1]。
Aは、ソフトボールの経験者であり、身のこなしが速いことから、Aの動きを止めなければ刺突行為を実行することは難しい。そこで、甲は、車で衝突させて動きを止めることによって、刺突行為の実行を容易にするという方法を考えている。そのため、本件第1行為は、刺突行為を確実かつ容易にするために必要不可欠である。甲は、本件第1行為の直後に本件第2行為を行なう計画を立てていたから、時間的・場所的近接性が認められる。そして、特段の障害事情は存在しない。
したがって、本件第1行為は、本件第2行為と密接し、その時点で死亡結果に至る客観的な危険が認められるから、「実行に着手」したといえる。
3 そうすると、本件第1行為の開始時点で殺意を認めることができる。
もっとも、甲は、Aを殺害する計画を立てていたが、Bを跳ねてしまったため、客体の錯誤が問題となるところ、甲は、Aを殺すことを認識していた以上、「人」を殺すことを認識していたといえる。したがって、殺意(38条1項本文)が認められる。
4 甲は、本件第1行為の後、本件第2行為を行っていない。そこで、中止犯(43条ただし書き)が成立しないか。
中止犯の根拠は、犯罪行為の中止によって、責任が減少する点にある。そのため、自己の意思によって中止したといえるときは責任の減少を認めるべきである。
そこで、中止の動機となった外部的または内部的事情が経験上一般に犯罪の完遂を妨げられる事情にならないときは、「自己の意思により」中止したといえる。
甲は、本件第1行為の対象がAではなくBであったために、本件第2行為を行わなかった。甲は、好意を抱いているAと心中するために犯行計画を立てていた。そして、甲は、Bに対して「ごめんなさい」、「Aさんを殺して死ぬつもりだった」と言っているから、Aでなければ殺すつもりはなかったといえる。したがって、犯罪対象が違うことは、犯罪を妨げる重要な事情であるといえる。そのため、中止の動機となった内部的事情が犯罪の完遂を妨げるべき事情であったといえる。
したがって、「自己の意思により」中止したとはいえないから、中止犯は成立しない。
第2 よって、殺人未遂罪(203条、199条)が成立する。甲は、犯行時には心神耗弱状態であったから、刑の必要的減軽を受ける(39条2項)。
第3 関連設問
甲は、本件第2行為でAを殺害する計画であったから、本件第1行為により頭部を強く打ちつけたことが原因で死亡した場合は、因果関係の錯誤が問題となる。
犯罪事実は構成要件として類型化されているから行為者の認識した因果経過と現実の因果経過が法的因果関係の範囲内であればその違いは重要ではなく、故意は認められる。
したがって、殺人罪(199条)が成立し、甲は罪責を負う。
参考判例
[1] クロロホルム事件(最決平成16・3・22刑集58巻3号187頁)。
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