はじめに
司法試験受験生の皆さん、こんにちは。
このサイトでは、井田良ほか『刑法事例演習教材[第3版]』(有斐閣、2020年)に収録されている全52問について、私が受験生時代に作成した刑法事例演習教材の解答例を公開しています。各問題の論点を整理し、答案作成に必要な思考の流れをつかむことを目指しています。
第44問「ハートブレイカー」では、業務上過失致死罪の成否が中心的な論点となります。事故や死亡事案において、行為者の行動が「業務」にあたるか、またその過失の内容が刑事責任に値するかといった点をどう評価するかが問われます。
本解答例では、「業務」とは何か、どのような注意義務が課されていたのか、そしてその義務違反と結果との因果関係をいかに構成すべきかについて、判例の考え方を参照しながら丁寧に検討しています。比較的シンプルな構造の問題だからこそ、基本的な法的判断力が試される内容です。
刑法事例演習教材の解答例として、本記事が皆さんの学習の助けとなり、司法試験対策の一助となれば幸いです。ぜひご活用ください。
解答例
第1 丙の罪責
1 Bの手術を行った行為について業務上過失致死罪(211条前段)が成立するか。
(1)「業務」とは、人が社会生活上の地位に基づき、反復継続して行う行為であって、生命・身体に対し危険な行為をいう。
丙はA大学医学部付属病院循環器外科における診療や手術等に従事していたから、「業務」にあたる。
(2)「必要な注意を怠り」とは、過失をいい、「過失」とは、予見可能性を前提とする結果回避義務違反をいう。
ア 本件手術は、Bの年齢と既往症、大動脈の脆弱性からすれば、そもそも手術のリスクは高く、平均的な循環器外科医であれば手術の適応はないと考えるところであり、手術の施行そのものが無謀というべきものであった。また、丁は、手術の適応性を肯定できるかどうかに強い疑問をもっており、丙に対し数度にわたり手術が危険であることを訴えている。そのため、通常の医師の注意能力からすると、手術を行えば死亡結果が発生することは予見可能であったといえる。
イ そうすると、Bの手術を回避すべき注意義務を負う。それにもかかわらず、丙は手術を行ったから、結果回避義務に違反したといえる。
ウ したがって、丙には過失が認められるから、「必要な注意を怠」ったといえる。
(3)Bは、手術を行ったことにより、循環不全を克服することができず、「死」亡した。
(4)もっとも、Bはあくまで本件手術を行うことに同意しているのだから、同意により違法性が阻却され、本罪は成立しないのではないか。
たしかに、丙はBおよびその妻Cに対し、本件手術の一般的な危険性を指摘した。しかし、Bが高齢でありその大動脈がきわめて脆弱であることから手術に高度のリスクが伴うことについては言及しなかった。
Bは、一か八かの危険な手術を受けることだけはしたくないと幾度も語っており、もし手術の危険性について正確な説明がなされていさえすればBは手術には同意しなかったと考えられる。そのため、Bの本件手術に対する同意は錯誤に基づくものであり、無効である。
したがって、有効な同意とはいえないから、違法性は阻却されない。
2 よって、業務上過失致死罪(211条前段)が成立し、丙は罪責を負う。
第2 乙の罪責
1 Bの手術を行った行為について業務上過失致死罪(211条前段)が成立するか。
(1)乙は、A大学医学部専任講師であり、甲の指導の下に、医療チームのリーダーの一人として、同チームに属する医師を指導監督して、診察や手術等にあたらせるとともに、自ら診察や手術等を行っていた。そのため、「業務」にあたる。
(2)乙は「必要な注意を怠」ったといえるか。
ア 第1の1(2)アで述べた通り、平均的な循環器外科医であれば手術の適応はないと考えるところであり、手術の施行そのものが無謀というべきものであった。また、乙は、丁から手術の適応を肯定できるかどうかに強い疑問を持っていることの相談を受けている。そのため、手術を行うことによる死亡の危険性は予見可能である。
イ A大学医学部付属循環器外科における診察は、難しい疾患については指導医、主治医、研修医各1名の3名がチームを組んで対応するという態勢がとられていた。その職制上、指導医の指導の下に主治医が中心となって治療方針を立案する必要がある。そうすると、乙は、治療方針について指導する義務があり、手術の適応について検討すべき注意義務を負う。
それにもかかわらず、乙は、Bの病状自体について知らないばかりか関心さえももっていなかった。そのため、注意義務に違反したといえる。
ウ したがって、過失が認められるから、「注意義務を怠」ったといえる。
(3)Bは、手術を行ったことにより、循環不全を克服することができず、「死」亡した。
2 よって、業務上過失致死罪(211条前段)が成立し、乙は罪責を負う。
第3 丁の罪責
1 Bの手術を行った行為について業務上過失致死罪(211条前段)が成立するか。
(1)丁は、A大学医学部循環器外科の研修医であるから、「業務」にあたる。
(2)丁は「必要な注意を怠」ったといえるか。
ア 第1の1(2)アで述べた通り、平均的な循環器外科医であれば手術の適応はないと考えるところであり、手術の施行そのものが無謀というべきものであった。また、Bの病態が以前、同科において手術後に死亡した別の患者の病態と酷似しており、そもそも手術の適応を肯定できるかどうかに強い疑問をもった。そのため、手術を行うことによる死亡の危険性は予見可能である。
イ 丁は、主治医である丙、指導医である乙に手術の適応を肯定できるかどうかに強い疑問をもっていることを相談しており、医局会議においても手術が危険すぎることを強く主張した。しかし、丁はこれ以上反対しても意見は聞いてもらえないと諦め、しぶしぶ甲、乙、丙に従うほかはないと考えるに至っている。そのため、丁は、Bが死亡する結果を回避するために積極的な行動を行っているから、結果回避義務違反はない。
ウ したがって、丁は、「注意を怠」っていない。
2 よって、業務上過失致死罪は成立しない。
第3 甲の罪責
1 医局会議において手術は行うべきだと簡潔に述べた行為について業務上過失致死罪(211条前段)が成立するか。
(1)甲は、A大学医学部循環器外科教室の教授であり、同医学部付属病院の循環器外科課長であった。甲は、同科の医療行為全般を統括し、同科の医師を指導監督して、診察や手術等を行わせるとともに、自らも診察や手術等に従事していた。そのため、「業務」にあたる。
(2)甲は、丁は「必要な注意を怠」ったといえるか。
甲は、丙らの報告を受ける立場であったから、信頼の原則の適用が問題となるとも思われる。
第1の1(2)アで述べた通り、平均的な循環器外科医であれば手術の適応はないと考えるところであり、手術の施行そのものが無謀というべきものであった。また、医局会議において、丁が、手術が危険すぎることを強く主張していた。そのため、手術を行うことによる死亡の危険性は予見可能である。
そうすると、信頼の原則を適用すべきではなく、手術の適応を肯定できるかについて慎重に検討するよう指導する注意義務を負う。それにもかかわらず、甲は、丁の言うことは無視し、とにかく手術は行うべきだと簡潔に述べた。そのため、注意義務に違反する。
したがって、過失が認められるから、「注意を怠」ったといえる。
(3)Bは、手術を行ったことにより、循環不全を克服することができず、「死」亡した。
2 よって、業務上過失致死罪(211条前段)が成立し、甲は罪責を負う。
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