はじめに
司法試験受験生の皆さん、こんにちは。
このサイトでは、井田良ほか『刑法事例演習教材[第3版]』(有斐閣、2020年)に収録されている全52問について、答案例を公開しています。
今回の事例12「赤いレンガの衝撃」では、自招侵害と正当防衛が主要な論点となります。
正当防衛の成立要件を満たしているかどうかを検討するだけでなく、自招侵害の法理との関係をどのように整理するかが重要なポイントとなります。以下の答案例を参考に、論理的な構成を確認してください。
答案例
第1 左掌を強く突き出し、Aの顔面を突いた行為についてAに対する傷害致死罪(205条)が成立するか。
1 「傷害」とは、人の生理的機能を害する行為をいう。Aが転倒した店内側の出入口付近は、狭隘(きょうあい)な上に、飾り棚のように、柱が突き出ており、また床も約7センチメートル高くなっている部分があって、長身のAが後ろ向きに倒れた場合、頭部などを床面や壁面等に強く打ちつけることは十分にあり得る状況であった。また、床面、壁面ともに、レンガ製で相当に固かった。そのため、甲の行為は、Aの生理的機能を侵害する危険を有する行為である。したがって、「傷害」にあたる。
2 Aは、「死亡」しているが、上記行為との因果関係が認められるか。
因果関係は、偶然的結果を排除して適正な帰責範囲を確定する法的判断である。
実行行為は、結果発生の現実的危険性を有する行為であるから、その危険が結果に実現した場合に限り結果の帰責が正当化される。
そこで、客観的に存在する全ての事情を基礎として、行為の危険が結果に実現化したといえるときに認められる。
甲の行為は、1で述べた通り、危険な行為であり、人の枢要部である頭を、固い床や壁に打ち付ければ、死亡する危険がある。Aの死体解剖の結果、Aの死因は、硬膜下血腫を伴う左前頭葉脳挫傷で、その原因は、後頭部を打撲したことによる対側損傷によるものであることが判明した。そのため、甲の行為が死亡に決定的な影響を与えたといえる。
Aは、D市民病院で診察を受けたところ、診察に当たった医師Eは、Aの意識が清明で、むかつきや吐き気を訴えていなかったことなどから、緊急を要しないと考え、ひとまずAを帰宅させた。この措置は、Aの症状に見合った診察であり、異常とはいえない。
したがって、Aの暴行が、死亡結果に現実化したといえるから、甲の行為と死亡結果との間の因果関係が認められる。
3 甲は、スナック「弥生」にたびたび訪れていたことから、現場の状況についても認識していた。そのため、傷害の故意(38条1項本文)が認められる。傷害致死罪は傷害罪の結果的加重犯であるから、傷害の故意が認められる以上、傷害致死罪は成立する。
4 もっとも、正当防衛(36条1項)が成立しないか。
(1)本件では、自招侵害であり、正当防衛の前提状況を欠くのではないか。
正当防衛の趣旨は、急迫不正の侵害という緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることができないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したものである。そのため、急迫性が認められるとしても、自ら侵害行為を惹起した者にとっては、緊急状況とはいえないから、正当防衛の前提状況を欠く。
そこで、①侵害行為が、先立つ不正な行為(侵害招致行為)に触発された一連一帯の行為であり、②侵害行為が侵害招致行為の程度を大きく超えないときは、正当防衛は成立しない。
甲は、自己の右隣の椅子のシート部分を、右足の裏でAに向けて強く蹴り付けた。この際、甲はAをことさら挑発しようと考えているわけではない。また、倒れた2脚の椅子がAの身体に接触したようなこともなかった。そのため、椅子を蹴りつけた行為は、Aに向けられた行為とはいえない。そうすると、Aによる侵害行為は、甲が椅子を蹴りつけた行為によって触発されたとはいえないから、自招侵害とはいえない。
(2)「急迫」不正の侵害とは、法益の侵害が現に存在しているか又は間近に押し迫っていることをいう。
甲が椅子を蹴りつけた行為の後、Bの仲裁が入っており、この間、甲はAから反撃を受けたことはなかったし、また、両者が向かい合って睨み合うというような場面もなかった。そして、甲は、体格も貧弱でおとなしそうな風貌のAから反撃を受けるとは思っていなかった。そのため、Aによる侵害を予期していない。
甲がスナックの出入口付近まで行ったとき、背後に迫ってくる人の気配を感じて振り向くと、Aが身体をやや前屈みにした体勢で、肩のあたりまで上げた左手拳を甲に向けて一気に突き出し、甲の顔面を殴打しようとした。そのため、甲の身体に対する侵害が現に存在している。したがって、「急迫」不正の侵害といえる。
(3)「防衛するため」とは、文言上、防衛の意思が必要である。その内容は、侵害を避けようとする単純な心理状態をいう。
甲は、Aの攻撃を受け、強い不快感を覚え、「こんな奴に殴られてたまるか」と憤激し、反撃に出ている。そのため、攻撃の意思を有している。もっとも、これによって、侵害を避けようともしているから、攻撃の意思と防衛の意思が併存しているといえる。
したがって、「防衛するため」といえる。
(4)「やむを得ずにした」とは、防衛行為としての必要性および相当性を有する行為をいう。侵害に対する防衛手段として相当性を有する以上、その反撃行為により生じた結果がたまたま侵害されようとした法益より大であっても、その反撃行為が正当防衛行為でなくなるものではない。
Aは、身長こそ約177センチメートルあったものの、胃腸に持病をかかえており、体重が約50キログラムしかなかった。そのため、Aは、貧弱な体格といえる。これに対し、甲は、身長約170センチメートル、体重約78センチメートルのがっしりした体格で、柔道の有段者であった。そのため、甲は、Aに対して有形力を行使して対抗すべきではなく、Aの侵害を避けつつ、Bに助けを求めるなどしてAの攻撃を防ぐことができる。そのため、顔面を殴打することは必要性および相当性を欠き、「やむを得ずにした」防衛行為とはいえない。
5 よって、甲の行為には、傷害致死罪(205条)が成立し、過剰防衛(36条2項)として、刑の任意的減免を受ける。
第2 Aを殴打した行為についてBに対する傷害罪(204条)が成立するか。
1 第1で述べた通り、甲の行為は人の生理的機能を侵害する危険を有する行為であり、Bは、全治10日間程度の打撲傷を負っているから「傷害」にあたる。
2 甲は、Aに対する故意は認められるが、Bに対する故意はないとも思われるため、具体的事実の錯誤が問題となる。
故意責任の本質は、反対動機を形成できたにもかかわらずあえて犯罪行為に及んだことに対する道義的非難である。犯罪事実は構成要件として類型化されているから、認識した事実と発生した事実が構成要件の範囲内で一致する限り、故意が認められる。
AとBは「人」であるという点で構成要件的に一致するから、Aに対する故意が認められる以上、Bに対する故意も認められる。故意の個数は、観念的競合により科刑上一罪として処理すれば責任主義に反しない。
3 正当防衛(36条1項)が問題となるが、Bは、甲に対する侵害行為を行っていないから、「不正」の侵害が認められない。したがって、正当防衛は成立しない。
4 緊急避難(37条1項)が問題となるが、緊急避難は、無関係な田採算者の法益を侵害するため、逃げることも含めて最も被害が小さい方法が要求される。
そこで、「やむを得ずにした」とは、その危難を避けるための唯一の方法であって、他にとるべき方法がなかったことをいい、法益が均衡していることを要する。
甲は、Aの侵害を避けつつ、Bに助けを求めるなどして、Aの攻撃を防ぐことができる。そのため、甲の行為は危難を避けるための唯一の方法とはいえないから、「やむを得ずにした」とはいえない。したがって、緊急避難は成立しない。
5 よって、傷害罪(204条)が成立する。
第3 以上より、Aに対する傷害致死罪とBに対する傷害罪が成立する。両行為は、「1個の行為」といえるから、観念的競合(54条1項前段)となる。
Aに対する傷害致死罪は、過剰防衛として任意的減免を受ける(36条2項)。
参考判例
・最決平成20年5月20日刑集62巻6号1786頁(ラリアット事件)
・最判昭和44年12月4日刑集23巻12号1573頁(指ねじりあげ)
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